上等という言葉の下等なる用法

(「ぶっくれっと巻頭エッセイ」NO.133号 1998 NOVEMBER)

林 望

 言葉というものは、時代につれて目まぐるしく変異していくものと、たとえば「黒い」「食う」のごとく、千古不易的なものと、両方あるのは誰も知る通りである。

 私は、学生のころ、勉強のなかでは、古俳諧を読むのがなにより好きだった。最小限の言葉の容量のなかに、最大限の「意味」を込める文芸、その読解には、「読む」という営為の最本格の面白さがあったからである。しかし、そこに落とし穴もあって、最小限の言葉に最大限の意味ということになると、つまり、一つの表現に込められたものは想像以上に多様で重くなる道理だ。そうすると、当時の俳諧師が洒落たつもりで、流行語などを詠み込むと、その流行語がたちまちに廃れたのちになっては、いったい何をいっているのかちっとも分らないということが生じてくる。近世初頭に流行した旗本奴連中の仲間言葉「奴言葉」もそれで、芭蕉の出世作『貝おほひ』に、しばしばその種の俗語が交えてあるために、極めて理解を難しくしているなどその好個の一例である。

 ところで最近、車を運転していたら、近所の立体交叉の壁に、すこぶる面白い言葉の用例を見出した。が、こういう表現は、たぶん、極めて同時代的なもので、数十年も経つと、きっとその意味がわからなくなるだろうと想像される。だから、後世の学者たちのために、老婆心ながら、いま書き付けておくのである。ちょうど、江戸前期に安原貞室が『かたこと』を書いて、当時のよからぬ言葉を記録しておいてくれたのが、こんにちすこぶる有益な情報源となっている、というあのひそみに倣ったのである。さてその表現というのは、 「警視庁上等」

 というのだ。前後の文脈なしに、これだけ見て意味がわかる人は相当にアブナイ人である。この「上等」は、また「殺人上等」というように用いられることもある。これらは、コンクリートの壁とか、歩道橋の側板とか、家の塀とかそういう場所にスプレーガンのペンキ書きで、しかも妙にひねくったような字体で、かならず全部漢字で書かれる。

 もうお分りであろう。これは例の暴走族のアンちゃんたちが書いたメッセージなのだ。

 まず「殺人上等」の用例は、こういう含意によって書かれている。 「殺人だ?おう、上等じゃあねえか、殺せるもんなら殺して見やがれ。こっちは殺人なんぞなんとも思っちゃいねえんだからな」

 これを極度に圧縮して「捨てぜりふ」の形にしたのが、すなわち「殺人上等」である。「喧嘩上等」なども、これに同じ。

 ここから更に進展して「警視庁上等」となると、暴走族同士の抗争という範囲を逸脱して、「なに、警察だ、上等じゃねえか、警視庁のポリ公が怖くてバリバリ走れっかよ」と警視庁に喧嘩を売っている形である。だから、こういう「上等」の用例にも自ずから志の違いがあって、「警視庁上等」のほうが、よりアナーキーで戦闘的だとも言える。つまり、これは現代の「奴言葉」なのだ。

 いずれにしても、こういうもっとも下等なる「上等」の用例は、たぶん辞書的には意識されたことがないだろうから、物好きなる私は、ふと思い立って面白半分で報告しておくのである。

(はやし・のぞむ 東京芸術大学助教授)

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